【自己紹介】 にじのわ代表・平田の生い立ちなどについてかなりざっくり紹介【⚠長文注意】

皆さん、こんにちは☕

発達障害&虐待サバイバー当事者のコーヒー屋、平田泰之(ヒラタ ヤスユキ)と申します。😃

この度は、このサイトに訪問してくださり、誠にありがとうございます。

 

2020年より「にじのわ」として活動させて頂いている自分の背景について、今回は下記の通り、お話してみたいと思います。

①僕の障害について

②僕の両親・家庭について

③僕がコーヒーを始めたきっかけ

④コーヒーのおかげ様で生かされて

 

明るい話ばかりしても仕方がないので、あえて暗い話も赤裸々に書いています。

ただ、絶望や呪詛(じゅそ)を吐き散らかすのではなく、『絶望を絶望のままで終わらせない』そんな文章になっていればと思います。

よろしくお願いいたします🙇

 

 

①僕の障害について

僕は、生まれつき「アスペルガー症候群」という先天的な障害を持っています。先天的な脳機能の障害『発達障害』の一種です。

 

一方で、この特性の自覚を持ち出したのは、大学卒業手前の2011年2月ごろのこと。

その後は就職先がかなりの田舎だったこともあり、精神科にすぐかかることができませんでしたが、

2012年1月21日、訳あって地元・大阪に戻ることになり、その際にようやく、何とか病院を見つけて診断を受けることができました。その時はすでに23歳になっていました。

 

この病院とは、残念ながら後日、精神的虐待に相当するレベルの扱いを受け、発狂寸前にまで追い込まれたこともあったのですが

僕は基本的には、診断を受けたことは100%ポジティブに取っています(※このことを非常によく思わない大人が一部いて、すさまじいレベルの虐待を受けましたが、これについては後述します)。

 

診断を受ける前の僕の人生を例えるなら、「真っ暗な夜道の中、自分がどんな車に乗っているかも分からない & その車のライトがつくことがない状態でハンドルを握っている」ような危険極まりない状態。障害特性が悪さをして人様に迷惑をかけてしまうこともありました…。

診断を受けることで、『自分が乗っている車のライトがつくようになり、どんな車に自分が乗っているのかが分かった』ような状態でした。

これまで『俺がバカでポンコツのクズだからこんなことになるんや』と自罰ばかりしていたのも(※過剰な自罰は、いつしか無差別な他罰へと向かうこともよくあり、非常に危険だと僕は感じている)、この日を境に自粛するようにしました。

自分の、特に特性上の弱みを自ら罵倒することは、ほかの障害当事者の方々およびそのご家族、ご友人らを虐待することと同じだと思うからです。

 

この特性による長所と短所(※)は以下の通りです。

(※)障害当事者ごとに当てはまる・当てはまらない特性があり、今回は僕に当てはまるものだけ列挙しています。

 

【短所】

・冗談や皮肉であっても強烈な言葉をそのまんま受け止めてしまう

・五感がすべて敏感で、騒音や悪臭によるダメージを人一倍受けやすい(※反対に鈍感な当事者さんもいます)

・感覚過敏などから添加物や化学物質の悪影響も受けやすく、平均的な人よりこれらの摂取でダウンしたり具合が悪くなったりしやすい

・つらい記憶やトラウマが鮮明かつ強烈に残りやすい ⇒ 吐き出せる場がないと発狂してしまうなど深刻な事態に陥るリスクも

・短期記憶(コンピューターで言う所の「メモリ」)が弱く、臨機応変な対応などが苦手

 

【長所】

・長期記憶が強く、一度覚えたことを正確に、長い間覚えていられる

・マニアックな知識を正確に覚えていることもあり、「博学」と評されることも

・好きなことに集中し続けることが苦痛にならない(※ただし、十分な睡眠、栄養を取れていて、かついじめなどにあっておらず心身ともに健康な場合に限る)

・聴覚の過敏性と記憶力の高さ故か、語学が得意な傾向があるらしく、習得言語のレベルをその言語のネイティブスピーカーに驚かれることもこれまで割とあった(英語、ドイツ語、フランス語、スウェーデン語でこの経験あり)

・敏感な五感の中でも特に「嗅覚」「味覚」が優れており、この特性が現在のコーヒー等の仕事でも生きている

 

障害当事者にとって、診断を受けることは何かしらの衝撃があるものではないかと思うのですが

僕にとってこの診断が、ポジティブなものだったことは、前述のとおりです。

そして、この自覚がなければ、僕自身、コーヒーの道を選んで進もうとは思わなかったし、今いる仲間たちとこれほどの絆と共に生きていくことはできなかったでしょう。

 

次は、そんな僕の生きる道を最も破壊しようとした人物たちについて紹介します。

 

②僕の両親・家庭について

単刀直入に申し上げますが、僕を製造した両親は『毒親』です。

僕の製造された(生まれ育った)家庭は『機能不全家族』です。

 

外面は、物質的にも豊かで満ち足りた家のふりをしつつ、家の中は僕に対する精神的虐待であふれかえっていました。

その虐待も、「アホ」「バカ」「死ね」「生まなきゃよかった」といった直接的な言葉ではなく、

一見すると非常に虐待だとわかりづらい言い方で僕の自尊感情などを拷問して虐殺していくやり方でした。

 

恐らく、警察に捕まることなく、僕という『生まれてくるはずではなかった欠陥生命体』を、『処分』=殺害することが、彼らの最終目標だったと思います。

僕にとって実家とは、僕の殺戮を最終目標にした『アウシュヴィッツ強制収容所』です。

 

一方で、この家庭がどれほど素晴らしいか、どれほど自分たちが優しい親かという”宣伝”にも非常に力を入れており、

アスペルガー症候群の特性的にも言葉を真に受けやすい特性を持つ僕は、これらの洗脳の前に一たまりもありませんでした。

彼らが僕を洗脳およびコントロールするのに都合のいい知識をパンパンに詰め込んでくる一方で、人間として大事な感謝の気持ちや謙虚さといったことは、教わることは一切ありませんでした(むしろそれらを侮蔑したり軽視する傾向もありました)。

また、彼らは僕を都合よく人形にして、最後は廃棄処分=自殺に追い込んで、警察に捕まることなく僕を殺す、ために、ごちそうをふるまうなど、経済的背景を利用した洗脳にも熱心でした。

ある意味で僕は「家畜化」されていたのです。

…ですが、どれほどのごちそうなどに囲まれても、きっと「望まれない子供」であり、ただの「虐待対象」とでしか「価値」を与えてもらえない僕は、子供心にその冷徹さにどこか気づいていたのか、どこかで心は空っぽのままでした。

 

具体的な虐待内容については、全部まとめるとおそらく本を出版できるレベルになってくると思われるので、このブログの中でも一つ一つ書いていくつもりです。

 

僕は、このような「限りなく虐待に見えない虐待」を「ステルス虐待」(英:Stealth abuse)と呼んでおり、この「ステルス虐待」について、サバイバーとして啓発していくことも非常に重要な使命であると考えております。

僕の両親は、僕を虐待するときに人生で最もうれしそうな顔をしたり、最もイキイキ・ワクワクしているような、サイコパスの極みのような両親でしたが、

そのような悪に染まっていない人でも、もしかしたら「ステルス虐待」をやってしまう側になってしまうかもしれません。僕もまた、例外ではありません。

親の虐待と洗脳により心が歪み、壊れてしまい、いじめる側に立ってしまったこともあるのなら、なおさらです。

たとえそれが子供のころの行いだったとしても、決して軽視していいものではないのです(僕の毒母はそれらを軽視させるような言動も、2012年以降繰り返してきましたが…)。

 

このような暴力を減らしていく・無くしていくために、神様のような存在が、僕のような過ちに満ちたモノでも生かして下さったのかもしれません。

 

③僕がコーヒーを始めたきっかけ Part.1 ~死援所での暴虐の果て~

2012年12月~2018年5月と障害者雇用としてある大手製造メーカーに勤めていましたが、何年努力しても初任給同然の給料で働かされ、

障害者支援側を名乗る社員たちからの精神的虐待の積み重なりもあり、うつ症状が出始めたので会社を辞めることになりました。

(ありがたいことに、僕を虐待しないでいてくださった当時の上長らなどからは、本音を言うと辞めないでほしいと言われましたが…)

 

その後は、プログラマーを目指そうと就労移行支援事業所に入りましたが、そこでもまた精神的な虐待を受けました。モラルハラスメントや、前述の「ステルス虐待」に相当する内容でした。

前述した両親からの虐待に関する「グルーミング」の被害も受けました。

皮肉なことに、その加害者の中には、僕と同じアスペルガー症候群の当事者もいました。(※平田は発達障害当事者からの虐待を受けたことが多数あり、おそらく両親もその傾向がある可能性は高い)

僕がこれら「死援者」の暴虐を忘れることはないでしょう。

 

2019年11月、1年半在籍してもほとんど全く芽が出ないまま、大阪市淀川区にある別の支援所に移り、その翌年の1月6日頃、人生を変える出会いがありました。

そして、この出会いがなければ、僕は間違いなく、2020~21年頃には自殺していたか、死刑レベルの凶悪犯罪でも起こしていたでしょうーーー毒親がこのようにして、僕を「殺処分」することを望んだように。

 

それは、支援所近くのコーヒー屋さんが、外部講師として、この支援所に来てコーヒーをふるまってくださったこと。

このコーヒー屋さんが、僕の人生を救ってくださる、一筋の光でした。

 

僕の発達障害が持つ「嗅覚・聴覚の過敏」にとても興味を持ってくださったことと、この方も親との関係で大変苦労したということで意気投合。

いつしか、支援所に止められても(※この支援所からも、結局のところ、とくにこの施設の長からの精神的虐待をかなり強く受けた。また、ここの職員のグルーミングも非常に悪質かつ酷かった)、なるべくお店に迷惑がかからない時間を見計らってお店にお邪魔するようになりました。

無職無収入でお金もなく、実家から出られず虐待を受け続けている僕を、たまたまお客様がいなかった時間であったならコーヒー1杯での長話にもお付き合いくださったことは忘れてはならない大恩です。

 

それから3ヶ月が経ち、2020年4月1日からプログラマーとしてのインターンを受けたのですが、こちらを2日でクビになりました。

その翌日、この支援所の長から「相談」と称してかなり悪逆・激烈な精神的虐待を受け、人生でも3本の指に入るほどの超強烈な自殺願望に襲われることになりました(皮肉なことにこの支援所の長も、非常に強烈な虐待のサバイバーでした。それでも…)。

そんなぼろ雑巾みたいな状態で、僕の足は自然と、あの人のコーヒー店へ。そこで、本当にいろいろなことを話しました。

 

④僕がコーヒーを始めたきっかけ Part.2 ~命を救った鶴の一声~

そして、2020年4月6日ごろ、日本でも新型コロナウイルスの「緊急事態宣言」が発令。それから1週間後---

 

僕は、昼営業のみの時短営業をしていた僕の恩人のお店に行き、自分がふつふつとコーヒーをやってみたくなった旨を、恐る恐る打ち明けてみたのです。

僕の恩人の答えは、こうでした:

 

『平田さん、コーヒー屋さん、やりましょう!!!』

 

その時の恩人の目は、まるでときめく少年のようにキラキラと光り輝いていました。

この方と、そのお弟子さんにあたる方(この方も当時通っていた支援所に外部講師として来てくださっていた)が、コーヒーをまず始めるにあたって必要な道具を一通り教えてくださいました。

 

お金があまりなかったこともあり、フリマアプリなどを駆使し、かかったイニシャルコストは1万円程度(※この時買った道具については、また別記事にて)。

 

また当時、飲食店での勤務経験がほぼ皆無だった(わずかながらあったが、その職場でもいじめに遭った)のですが、

当時、コロナ流行にあわせてライブ配信アプリが流行っていたのもあり、そのアプリを使ってコーヒーを淹れながら配信、というのをやりながら、対人恐怖を和らげようと試みました。

 

なお、これは余談ですが、この命の恩人と出会ったころである2020年1月ごろから、世間に自分が虐待サバイバーであることをより広く公にするようになりました。

それまでは、僕がこの事実を公にすることで、「サイコパス両親によって育てられたサイコパス男」というレッテルを貼られ、さらなる虐待や暴力を受ける恐怖に怯え続ける毎日でした。自尊感情なども今に比べて相当に低かったことも事実です。

 

しかしながら、実際に僕の中の『最も深く、最も残酷な闇』を明かすことで、確かに中にはハッキリ言ってどう見てもおかしな人も残念ながらいましたが(己の闇を十分に向き合えず暴虐を垂れ流す人、僕らのサバイバル経験を茶化したりして気持ち悪い言葉遊びをしようとする人、等)、闇を明かした分だけ光を流し込んでくださる方々ともたくさんのご縁がありました。

 

虐待の闇を明かし、光に導かれ、コーヒーとの出会いがなければ、僕は毒親の望み通りこの世からとっくに消えていた。

後日、僕の命の恩人が言ってくれたこのような言葉が忘れられません。

 

『平田さん、あなたの弱点は発達障害のことも確かにあるかもしれない、でも悪いのは、平田さんの親ですよ!!』

 

そんな光に導かれ、僕は2020年11月ごろからこの恩人のお弟子さんのお店で間借りカフェをさせて頂けたり、

その数ヶ月後の2021年2月はコーヒーをめぐって、ダブルスタンダードを息を吸って吐くようにほざいてくる & 言い訳の思いつきとオンパレードが大得意技の毒母との大戦争になり、半ば毒親から「賠償金をふんだくる」ような形で、2021年5月から一人暮らしができるようになりました。

 

その時の僕の命の恩人も、「平田さん!!!!よかったやないですか!!!!!」と、これまた目を光り輝かせて喜んでくれたことは、永久に忘れることのない大恩です。

 

 

⑤コーヒーのおかげ様で生かされて ~絆の力~

ここまでたくさんの文章を根気よく読んでくださり、ありがとうございます。

その後、コーヒーを通して、自分の背景=発達障害&虐待サバイバー、を明かしたうえで繋がっていく絆の太さと強さは、2019年以前のそれらと明らかに絆の力の平均値が違いすぎます。それだけは間違いなく言い切れます。

それ以前は、どんなに本物の絆を探し求めても、裏切られ、冒涜され続けるばっかりだったのに……コーヒーと、その仲間たちだけは、決して、こんなぼろ雑巾のような僕を裏切らなかった。

 

その後もコーヒー屋として研鑽を積ませていただきつつ、2021年7月から、僕の命の恩人のご縁から、焙煎も始めさせていただくことになり、今に至ります。

 

最後に、僕がコーヒー屋をやってきていて頂いてきた、一番うれしかった言葉たちを並べて、締めたいと思います。

 

『平田さんのコーヒーの味は、この世から消えてはいけないものです』

『平田さんのコーヒーを飲むと、コーヒーの概念が覆りますね』

『今まで飲んだコーヒーの中で一番おいしかったです』

『僕らは平田君の “推し活” をしてるねん』

『愛と平和の空気砲(※)』 (※)コーヒーの抽出器具の一つ『エアロプレス』のこと

 

こんなにも不器用で、虐待やいじめに30年以上も遭い、独裁国家の軍隊の兵士のように頭がおかしくなり凶行に及んだ僕であっても……

僕の場合はたまたまコーヒーでしたが、ここまで人生を変えさせていただくことができたのです。

もちろん、その際は、毒親が決して教えてくれなかった『感謝の気持ち、謙虚さ、相互尊重』の重要さを常に意識しできるだけ実践することも大事でしたが…

 

 

でも、こんな僕でも、できたなら。

『次はきっと、あなたの番』---絶望を絶望のまま終わらせないことを願って。

 

 

日本一不器用なコーヒー屋 平田泰之